イルカセラピー

展示課 加藤 治彦

<イルカセラピーとは>
精神疾患の治療に動物を介在させ症状の改善をはかることをアニマルセラピーといいます。 英語ではAnimalAssisted Therapy、「動物介在療法」です。 イルカを用いる場合を特に、イルカセラピーと呼びます。

<要約>
ハンドウイルカは、人に対する愛にあふれ、絶対に人を傷つけない神のような生き物(つくられたイメージ)ではなく、 時速30Kmの速さで泳ぎ、300Kgの体重を空中6mに到達ならしめる強靭な筋肉を備え、約90本の先の尖った鋭い歯で、 遊泳する魚類を1日15Kgも殺し、消費する海洋生態系の最終捕食者です。 イルカショーで見せる従順は、トレーナーが行動形成法に基づいて「条件づけた」行動です。 イルカは海洋環境に適応した、人とは異なった存在=異種であり、犬や猫のようなコンパニオン動物ではありません。
以上の生物学的事実、ならびにアニマルセラピーの選択生物として患者に対する安全性確保などの要件を満たさず、 適切な生物とは思いません。また、イルカセラピーそのものの効果も科学的には立証されていません。

<アニマルセラピーの対象患者>  [横山 1996 より引用](病名の表記は原文のまま)
アニマル セラピーを実施する精神科の対象としては、
1、痴呆患者や分裂病の自閉、欠陥状態など活動性が低下している患者
2、周りを脅威的に考え、他者とのコミュニケーションが困難な患者
3、自閉症や情緒障害のある患者(特に子供)
4、痛みや不定愁訴などに対して、精神の安定によってリラックス効果の出る患者(リハビリを含む)
などが適当とされています。

<介在生物とその要件>  [横山 1996 より引用]
セラピーに用いられる生物として、植物、魚類、爬虫類、小鳥、ハムスター、モルモット、ウサギ、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタ、猫、犬、馬、イルカ、サルなどがおり、それらを治療に用いる要件として、
1、患者に身体的、精神的害を与えない。
2、感染について安全が確保されている。
3、見知らぬ人に対し落ち着いている。
4、みだりに排泄をしない。
5、飼い主の指示に従う。
などが挙げられます。

<イルカがセラピーに不適当な理由>
イルカは決して安全な生き物ではありません。 野生での例として、フロリダのサラソタ、ハワイ、ブラジル、ベリーズ(中央アメリカ)で、 それぞれ噛まれるか、突かれる、あるいは叩かれることによる人の怪我または死亡事故が起きています。 飼育下でも同様に、水族館の飼育員や入館者が噛まれたり叩かれたりする例はいくらでも挙げられます。
イルカの糞便は不定期にプール内に排泄され、水中に溶解するため、ヒトは大腸菌のような細菌に暴露されます。 したがって、感染の危険性は排除されていません。一見安定しているかのように見えるイルカとトレーナーの関係並びにイルカの反応は、 条件づけ手続きにより形成されたものです。反応は、環境に伴い確率的に出現するもので、 見知らぬ人(新奇刺激)に対する反応は探索、逃避、攻撃的行動のいずれか、あるいは複数を生起させると思われますが、 予期し難く、反応の制御は不能です。
患者が、初めて来た水族館のプール裏側や見知らぬトレーナー達に対しストレスを感じずにリラックスできるとは思えません。

<助言>
精神疾患治療のケースでは、患者もしくはご家族の「イルカ好き」が何を根拠に発展したのかをまず検討すべきです。 一般の人々の、イルカに対する親愛の情を創っているのは、キャラクターグッズ、映像作品(アニメ、映画、ビデオ)、 作り話や誇張、寓話的解釈などからが多く、実際の生物に拠っているものは非常に少ないことに注意すべきでしょう。 イルカセラピーを謳う施設は、飼育施設が大がかりになるため、なかなか治療だけでは経営が成り立たず、 営利主義に走りやすくなるという指摘が、神経科医師である横山章光氏によりなされています。 イルカの商業的利用者がセラピーの効果を宣伝するのは当然の事です。 また、イルカは確かに人に聞こえない音=超音波を用いますが、超能力は持っていません。 形作られたイメージとのギャップが大きいと、セラピーは全く逆の結果を導く危険性があるのではないでしょうか。

フロリダのドルフィンズプラスでイルカセラピーを実施した専門家の一人であるベッツィ スミス博士は、 対照試験の難しさを指摘し、自ら自閉症児数人に対し行った治療に科学的評価を与え難いとしています。 博士はその後、飼育下のイルカをセラピーに用いることに反対し、ビデオや音響、 光刺激を用いたバーチャルなものの検討をしているそうです。

イルカセラピーを勧めて下さるのが主治医やカウンセラーであるのなら、アニマルセラピーについては、 十分な勉強をなされ、その危険性と利点について十分に理解されていることと思います。 その場合には、なぜイルカなのか?また、治療目的と治療方針(スケジュールなど)を明確にする必要があります。

もし映像その他のメディアからの思いつきなら、上述したような理由で、相当の身体的、精神的危険が伴い、 かつ効果については不明であることをご理解下さった上で、もう一度ご検討ください。

尚、長々と述べてきたことは、決して患者の治癒を望んでいないが故ではありません。 社会のイルカに対する誤解を解き、イルカ類とその環境に関する正確な情報を一般に伝えることは 鯨類展示にたずさわる者の使命です。

<参考図書>
横山章光『アニマルセラピーとは何か』、1996、日本放送出版協会NHKブックス。
ベッツィ A スミス『イルカセラピー イルカとの交流が生む「癒し」の効果』青木薫、佐渡真紀子訳、1996、講談社ブルーバックス。